この尻のもぞもぞ感というのは説明が難しいのだけれど、その、かぎかっこの中の言葉/営為/可能性/凶器を、そんなにゾンザイに扱わないでほしい、憎み、愛してほしい、為にする議論に使わないでほしい、そもそも、何を意味しているのよ、ていうか、語る前に行動しろよ、俺だったらどうする、などなどの諸々の思いやら感情やらが入り混じって神経を刺激し擬似身体現象化するというあたりか。説明になってないけど。
泉あいさん界隈を淵源とするウェブ上の議論では、このかぎかっこの中の言葉(i simply cannot bear to use the j-word here, there or anywhere in connection with that yakyakyakaloo; i feel its too insulting to the word/endeavor/possibility/poison/whatever-you-want-to-call-it.)がかなり頻繁に使われているのだけれど、みるみるうちにすすけ汚れ息が絶え黒く干からびていくようで、なんとも見るに耐えない気持ちがしている。
「ジャーナリズム」の擁護者を気取るつもりはない。そんなことはぼくの能力も意図も超えたことだし、そもそもそれが何なのか、ぼくには分からないし、これからもそうだろう。しかし、ぼくのごく限られた世界の中にも、この言葉/営為/可能性/凶器と真摯に向き合ってきた人たちが残した、知の遺産とでも言うべきものが確固としてあるのが見える。ぼくは、そういうものに敬意を払い、理解し、学ぼうとつとめ、自らの足元を照らしてくれる明かりのひとつとして、感謝したい。
「ジャーナリズム」を語るひとすべてに、いい仕事をしてほしい、とぼくはその受け手として本当に思うし、その作品で、ぼくに知識と、他者に対する想像力と、愚行に対する怒りと、ひとは独りでは生きられないのだという思いと、明日への希望を与えてほしいと、切に願っている。
*いかにも臭い(^^;けど、ま、こんなもんでしょう。
記録し、光をあて、テーマを設定し、論点をあぶり出す…というか、いい仕事してみたいと思います。