なぜ字が読めないのかは忘れてしまった。多分、大恐慌の最中に育って、家が貧しくて学校にいけなかったとか、そんな事情だったように思う。おじさんは配管工だから、字が読めなくても、日々の仕事には困らない。同僚と昼飯を食うときは、メニューの中身がわからないから、いつも「今日のスペシャル」を頼んでいた。自分宛ての手紙は、適当に理由をつけて妻や子供に読んでもらっていた。恥ずかしくて、誰にも話せなかった。知られるのが怖かった。そんな人だ。
ある日、勤務先の会社から「資格試験を受けろ」といわれた。法律が変わったせいだったと思う。困り果てたおじさんは、ついに奥さんに打ち明け、識字ボランティアの助けをかりて、文字を学びはじめる。締めくくりは、おじさんのこんな言葉だ。
「字を覚えたら、まず、愛していると妻に手紙を書きたい」
初めて読んだのはもう20年も前のことだが、若かった私は、この部分を読むたびに、泣いた。おじさんの必死さや家族への思いが、直接流れ込んでくるような気持ちになったのだ。同じ頃、林竹二さんの「教育亡国」(だったと思う)を友人に薦められて読んで、夜間中学で字を習ったおばさんが「光をくれてありがとう」と感謝の手紙を教師に書いた、なんて話に泣いたりした。まあ、あきれるほど馬鹿で単純だったわけだ。
グリーンは3年ほど前、トリビューンを辞めた。14年前に17歳の女の子と性的関係を持ったことがスキャンダル化したのだ。絵に描いたような墜落劇だった。
今回、グリーンのこの作品を思い出したのは、共同通信の伊藤圭一さんが書いた「東京24時」を読んだからだ。伊藤さんは、美しい情景を捉える人だと思った。
タンメンは完全に伸びてしまった。東京の深夜のラーメン屋には、なにか大事なものが入った小さな「袋」抱きしめて泣く男と女がいた。